ここ数年で最もセンチメンタルな気持ちになっているので書いておこうと思う。酔っ払ってるし。センチメンタルって改めて書くと自己愛強い感じがして気持ち悪い。この言葉に気持ち悪さを感じるようになってしまったのはいつからだったか。
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地元を出てきて一番最初に住んだ街にふらふらと出かけてきた。桜がすごく綺麗な記憶があって、満開の時期にまた行きたいなと思っていた場所だった。何年かに一度思い出しては面倒くさがって行ってなかったけれど、今年は2,3日前からすごく気になってしまって、珍しい行動力が出てしまった。
電車を何本か乗り継いで、よく使っていた駅の一駅手前で降りて歩いた。次の駅までの坂道沿いがずっと桜並木なのを覚えていたし、途中に昔住んでたアパートがあったから。
「桜が綺麗だから見にきたかった」って動機だったけど、歩くほどに住んでた時のことを思い出して、どんどん感傷深くなっていくのを感じていた。あのころ、学校に通いだして少し慣れた頃にこの美容室で派手な髪色にしたな、とか、友達と行った牛角まだあるんだな、とか。
坂をくだって上って住んでたアパートの近くまで来た。そこは坂道の頂上にあって、視界が、ぱっと開けて、空が広く、街並みが遠くに広がる場所がある。そのとき。
地元を出てきた時の、将来に何も縛られない、無限に道が広がっていて、根拠のない自信に満ちていて、すべてのことにわくわくしていた気持ちを、ぶわっと思い出してしまった。あの最強感はなんだったんだろう。
学校に向かう途中の、この視界が開ける場所が好きで、通るたびになにかいい気持ちを持っていたからかもしれない。
あの気持ちを持っていた時から10年以上経つ。あのとき期待していたような未来にいま自分は立てているか。あのときから変われているのか。
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しばらく考えながら桜並木を歩いた。変われたところを綺麗に列挙することができない。じゃあ、変わっていないところは?これも綺麗に挙げられない。
じゃあ、自分は変わっているということだし、進めているってことなんじゃないのか。あの自信を粉々に打ち砕かられる辛いこと苦しいことはあったし、身体壊したり、前線で戦う経歴はもう積めないんだろうなと絶望したこともあった。でも、前線は1つじゃないってことを見つけて、自分の得意な戦い方もわかった。絶望を感じる前より強く戦えてる。できることはすごく増えてるし、なんならあの時想像した未来より、楽しい今を過ごせてるじゃん。
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自己評価がすごく低いので、過去を振り返って、間違えたことをしていないかを振り返って反省ばかりしている。今日はいつもと違って前向きに気持ちよくなれた。最強を感じていた自分もまたいたんだ、ということを思い出したからかもしれない。
いい1日だった。また何年か後に行きたくなった時に、また。